今回は、弊社で毎月設けているマーケティングとデザインを学ぶ場「Design Diving」でテーマの1つとして扱った、存在論的デザインについてご紹介します。
デザインされたものの見た目や心理的感情の側面から捉えられがちなデザインですが、デザインは私たちにどのような影響をもたらすものなのか考えることで、デザインを本質的に解釈していければと思います。
存在論的デザインとは
世の中には、存在論的デザインという言葉が存在します。
存在論とは、もともと哲学用語で「現実もしくは世界がどのようにできているかを指す概念」です。
私たちは日々の活動によって、もの や こと をデザインしています。
そして自分達が作ったものによって、環境が作られ、その環境の中で生きている私たちの行動がデザインされています。このデザインの循環サイクルを表すのが、存在論的デザインです。
この世界でデザインする以上、 “デザインは人がものを作って終わり” の一方通行ではなく、「人・もの・環境」が相互に作用し合う状態こそが、存在論的デザインの概念です。
私たちは、デザインしたものによってデザインし返されているという事実
私たちは、日々の生活で多くのものを設計し、造形化しています。
さらに視野を広げてみると、この世界には、私たちがデザインしたものによって “逆にデザインし返されている事実” が存在しています。
具体的にどんなことを言うのでしょうか。身近なものから考えてみましょう。
みなさんがご飯を食べるときに使う茶碗は、炊き立てほかほかのお米を口に運ぶ際に使う道具としてデザインされました。茶碗の底の部分の少し高さがある部分は、高台(こうだい)と言います。
この高台は、ご飯を食べる時、器を持つ手に熱が伝わって熱くならないような形で作られています。
みなさんは、茶碗を持つ時どのように持ちますか?
写真のように指4本で、高台(こうだい)に触れて、親指で上の部分を支えながら茶碗を持つ人がほとんどだと思います。
この人間の手の動きを形作ったのは、茶碗の形そのものです。
図のように、人間がデザインし作った茶碗によって、その茶碗を使う私たちの手の形がデザインされています。
存在論的デザインという概念には、この図のように、常にデザインするものとされる側がそれぞれ相互に影響し合うサイクルが生まれています。
おわりに
Webやアプリなどの制作に向き合う私は、デザインをその見た目(表層部分)やそこから得られる感情のみを捉えてしまいがちです。
ですが存在論的デザインの概念に触れることで、デザインとは “私たちが生きる環境と、その環境によって形作られる人間の行動をもデザインするための手段である” と考えを改めることができました。
人がデザインするとき、そのデザインされたものが環境を作り、その環境によって人の行動をデザインしているというサイクルが存在することを常に忘れず、これからもデザインに向き合いたい所存です。